だから核の抑止力を捨てようと訴える秋葉市長の訴えに最も喜ぶのは、言うまでもなくこの二国だろう。新華社の「広島平和宣言が日本政府に米国の核の傘からの離脱を要求」との速報も、そうした中国人記者の思いがこもっていないはずがない。
なぜ秋葉市長ら社会党出身の左翼は、これらの国を喜ばすことばかりをやりたがるのか。
「二〇二〇年までの核兵器廃絶のためさらに大きなうねりをつくる」とも誓っていた秋葉市長は、同じことを中国に向かって言えるのか。
米国議会調査会が最近出した報告によると、その二〇二〇年までに中国は最大六隻の空母を建造する見通しだ。そしていよいよ覇権の拡大を本格化させるのだろう。もちろんそうした路線を驀進できるのは、言うまでもなく核の恫喝力を持っているからだ。
このような時代に逆行するが如き軍拡政策を懸念した岡田克也外相が五月、中国の楊潔篪外相に対し、「核保有国の中で核兵器を増やしているのは中国だけ。保有数を減らすか現状を維持するよう踏み切ってもらいたい」と求めたところ、楊外相は「中国は非核国に核を使用したり威嚇したりしない。日本が心配する必要はない」と激怒している。
こうした横暴な中国に対し、「核の廃絶を」と要求する「度胸」が秋葉市長にあるかが問題なのだ。
つねに被爆者の感情を強調する秋葉市長だが、それは被爆者の政治利用ではないのか。宣言では「高齢化した世界全ての被爆者にきめ細かく優しい援護策を実現すべき」と訴えていたが、まだ高齢化していない若い被爆者も、中国の新疆ウイグル自治区には数え切れないほど存在する。
世界で最も被爆者が多いのは、このウイグル民族の土地なのだが、秋葉市長は中国の核実験の犠牲者のことは忘れているのか。
核の抑止力を放棄しようなどと、中国や北朝鮮の核兵器を警戒しないような人物など、とても信用できないのである。ここまで現実を直視できないのは、今でも共産革命による「世界平和」を望んでいるからだろうか。
もし式典を政治利用しているだけなら、これほど原爆犠牲者を冒瀆するものはないだろう。
中国が喜ぶ広島市長の平和宣言−やはり左翼は信用できない (via ittm)